政策と統治体制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/25 06:26 UTC 版)
「イスマーイール1世 (ナスル朝)」の記事における「政策と統治体制」の解説
イスマーイールは他のナスル朝のスルターンと比較して、より厳格で正統的なイスラーム法の適用を推し進めた。伝記作家はイスマーイールによる強制的なアルコールの禁止について強調しており、イスマーイールはこれに違反した者への刑罰を増やした。また、男性が参加している集会での女奴隷の歌手の演奏を禁止した。そしてユダヤ人に対してはそれと分かる印を身に付けるように命じたが、これはイスラームの君主からはめったに強制されることのなかった慣習である。さらにイスマーイールはユダヤ人にジズヤ(人頭税)を課し、それによってかなりの歳入を得た。 イスマーイールの大臣の中でアブー・ファトフ・アッ=フィフリーとアブル=ハサン・ブン・マスウード・アル=ムハーリビー(以下、イブン・マスウード)が共同でワズィール(宰相)の職務に当たった。また、イスマーイールは著名な詩人であったイブン・アル=ジャイヤーブ(英語版)を王室の書記官に任命し、同様にムハンマド・ブン・アル=マフルーク(英語版)をワキール(wakil)の肩書を持つ財政担当官に任命した。ムハンマド・ブン・アル=マフルークは、イスマーイール暗殺時の襲撃中に受けた傷がもとで死亡したイブン・マスウードの後を受けてムハンマド4世の治世下でワズィールとなった。さらに、イスマーイールはカスティーリャ系カタルーニャ人でイスラームへ改宗したアブー・ヌアイム・リドワーンを王子のムハンマドの家庭教師に任命した。アブー・ヌアイムは若いムハンマドがスルターンの地位についた際にもムハンマドに対する影響力を維持し、ハージブ(侍従)に任じられた。そして続くユースフ1世の治世とムハンマド5世(英語版)(在位:1354年 - 1359年、1362年 - 1391年)の治世の初期までその地位にあった。政治的な案件では、イスマーイールは父親と不和になったにもかかわらず母親のファーティマからの協力も得た。歴史家のマリア・ヘスス・ルビエラ・マタ(英語版)によれば、この点ではファーティマは夫と同様に「優れた資質を備えていた」。司法では、ムハンマド3世とナスルに仕えていたアブー・ジャアファル・アフマド・ブン・ファルクーンに代えて、ヤフヤー・ブン・マスウード・ブン・アリーをカーディー・アル=ジャマー(カーディーの長官)に任命した。
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