政治的混乱の中で
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/12 14:45 UTC 版)
1917年7月、葉恭綽は、張勲復辟を鎮圧しようとする段祺瑞から討逆軍総司令部交通処長に任じられ、安徽派の政治家となった。段が中央で復権すると、葉は交通部次長兼郵政総局局長に任じられている。しかし、翌年に西原借款が問題になると、借款を交通事業に波及させるべきでないと考えたために段と対立し、次長を辞任した。 一時欧州を視察した後の1920年(民国9年)8月、葉恭綽は、靳雲鵬内閣において交通総長に任命された。その翌年3月に、上海工業専門学校などの各種工業大学を統合して交通大学を創設し、同大学の初代校長に就任している。しかし、1922年(民国11年)4月の第1次奉直戦争で奉天派が直隷派に敗北すると、奉天派に近いと見られていた葉も、日本に一時亡命した。 1923年(民国12年)5月、葉は広州へ赴いて孫文(孫中山)の大元帥府に加わり、財政部長に任命されている。その後も代理建設部長や鉄道部長をつとめた。また、奉天派との関係から、孫文の命により、張作霖との交渉も行っている。 1924年(民国13年)11月、段祺瑞が臨時執政に復権すると、葉恭綽は北京政府において交通総長に任じられた。張作霖が中国国民党の北伐に敗北するまで、その他各職を歴任している。
※この「政治的混乱の中で」の解説は、「葉恭綽」の解説の一部です。
「政治的混乱の中で」を含む「葉恭綽」の記事については、「葉恭綽」の概要を参照ください。
- 政治的混乱の中でのページへのリンク