政治的・宗教的信条、貢献
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/13 10:16 UTC 版)
「ジェームズ・ジェローム・ヒル」の記事における「政治的・宗教的信条、貢献」の解説
政治的には、ヒルは銀行や鉄道が後援するブルボン民主党であった。しかし、1893年恐慌を経て民主党はポピュリストの指導者にして銀行や鉄道への批判者であったウィリアム・ジェニングス・ブライアンが君臨し、大統領候補にもなっていたために、ヒルは大統領選においては共和党のウィリアム・マッキンリー(1896年、1900年)、セオドア・ルーズベルト(1904年)、ウィリアム・タフト(1908年、1912年)の支援者となった。 ヒルは自由貿易主義に立ち、カナダとの自由貿易を主張する数少ない一人であった。セントポールの図書館と、隣接するヒル・ビジネス・ライブラリーのビルは、どちらもヒルが資金を提供したものである。また、非常に多くの学校に寄付をしており、セントポール神学校(Saint Paul Seminary School of Divinity)の設立にあたって多額の出資をしている。セントポール大聖堂(Cathedral of Saint Paul in Saint Paul)にも寄付している。ヒルはプロテスタントであり、一方、妻のメアリーは敬虔なカトリックであったが、そのメアリーもこれらの施設に多額の献金をしている。 プロテスタントではあったが、ヒルはセントポールのカトリック教会との深い関係を続けた。ヒルの邸宅は大聖堂に隣接しており、妻がカトリックだったため、教区が設定されていた。ヒル家は大司教、ジョン・アイルランド(John Ireland)との緊密な関係を続け、ヒルはセントポール神学校、マカレスター大学、ハムライン大学、セント・トーマス大学、カールトン大学などの教育機関、宗教組織等への主要な貢献者となった。 また、ヒルは熱心な環境保護論者で、セオドア・ルーズベルトに自然保護のための州知事会議に招聘された。のちには土地委員会にも任じられた。
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