改作と編曲とは? わかりやすく解説

改作と編曲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/14 16:07 UTC 版)

クオレマ」の記事における「改作と編曲」の解説

シベリウス1904年に第1曲を改訂すると、『悲しきワルツ』(フランス語: Valse triste作品44として同年4月25日初演した。1905年ブライトコプフ・ウント・ヘルテル社より出版されると、たちどころに聴衆人気得てシベリウス代表作一つとなった。しかし出版社との契約のため、『悲しきワルツ』の演奏得られる収入は、かなりの低額に留まった。 1906年シベリウスは、第3曲と第4曲を結合して改訂し題名も『鶴のいる情景』(スウェーデン語: Scen med Cranor)に改めた。『鶴のいる情景』は1906年12月14日ヴァーサ初演されたが、作品番号付されず、作曲者存命中に再演されることはなかった。結局鶴のいる情景』が出版されたのは、シベリウス死後16年目の1973年になってからであり、作品番号は『悲しきワルツ』にあやかって作品44-2とされた(このため悲しきワルツ』は、現在では作品44とする例と、作品44-1とする例とが見られる)。 同じく1906年には、劇音楽クオレマ』を編曲して、弦楽合奏のための『恋人たちロンディーノ』(ドイツ語: Rondino der Liebenden)を書き上げたが、1911年まで演奏されないままだった。1911年ヤルネフェルト戯曲クオレマ』の改訂版上演すると、このためシベリウスは『恋人たちロンディーノ』の改訂稿作成してカンツォネッタ』(イタリア語: Canzonetta)と改題し、さらに新作の『ロマンティックなワルツ』(フランス語: Valse romantique)を書き下ろした。この2曲の初演は、1911年3月8日ヘルシンキ国立劇場において行われ、『悲しきワルツ』も併せて演奏された。演劇成功しなかったが、シベリウスは『悲しきワルツ』が、『カンツォネッタ作品62aや『ロマンティックなワルツ作品62bと一緒に繰り返し成功することを望んで初演後ただちに(作品62を)2曲抱き合わせ出版した。しかし、いずれも悲しきワルツ』ほどには聴衆注目集めなかった。 『悲しきワルツ』や『鶴のいる情景』『カンツォネッタ』『ロマンティックなワルツ』を、(元々それぞれの稿の成立経緯違っているにもかかわらずあたかも劇音楽クオレマ』の全曲録音あるかのように、1つ組曲として演奏した録音することがたまに行われているが、それはシベリウス意図したことではない。

※この「改作と編曲」の解説は、「クオレマ」の解説の一部です。
「改作と編曲」を含む「クオレマ」の記事については、「クオレマ」の概要を参照ください。

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