撮影条件の不一致
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 16:46 UTC 版)
「きち」が数え年19歳であったのは1860年(安政7年 - 万延元年)である。 1859年(安政6年)まで下岡蓮杖は下田に居住していた。下岡蓮杖の写真技術習得の経歴については諸説あるが、当時は未だ写真技術の基礎すら手探りの状態であったか、あるいは実質的には手つかずの状態にあった事は確かで、仮に「きち」と接触があったとしても鮮明な写真の撮影は到底不可能である。 下岡蓮杖が横浜の野毛に写真店を開業したのは1862年(文久2年)末、「きち」は当時数え年21歳であるから年齢が合致しない。 下岡蓮杖の初期の写真はガラス湿板写真で、鶏卵紙を用いた紙焼きプリントを開始するのは慶応年間頃と推定される。したがって、文久年間の下岡蓮杖の手による写真ならばガラス湿板写真のはずだが、後述の「Officer's Daughter」(士官の娘)は紙焼きプリント写真である。 このように時代と条件が合致せず、伝わる来歴通り水野半兵衛による寄贈かどうかはともかく、少なくとも下岡蓮杖・水野半兵衛の師弟が19歳当時の「きち」を撮影した事実はない。
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