排水溝について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/24 03:38 UTC 版)
長尾山古墳の埋葬施設の排水溝は、墓壙南東隅から墳丘北側のくびれ部分へと延びている。墳丘北側のくびれ部分は古墳築造前は谷筋であったと考えられており、水を流しやすい地形を選んで排水溝を敷設していた。 排水溝の上面は1.1メートルから1.6メートル、形状はV字型をしており、深さは1.3メートルから1.4メートルであった。排水溝底には10センチ大の礫が0.4メートルから0.5メートルの厚さで敷かれていた。礫を敷いた後に排水溝は埋め戻されており、発掘調査時、礫間には流されて堆積したと考えられる土が詰まっていた。なお、埋め戻しは一気に行われたわけではなく、少なくとも4回に分けて水平に埋め戻し作業が進められた。なお、後述する理由により排水溝の出口は確認されなかったが、北側くびれ部分へ向けて排水溝の規模が縮小していくことから、排水溝は墳丘外に出口を設けず、墳丘盛土の中に埋まっていく構造となっていると見られ、墓壙内から排水された水は排水溝を通り、最終的には北側くびれ部分の墳丘の盛土内に浸透させていたと考えられている。 2010年度の第7次調査において、墳丘北側くびれ部分に礫が乱れて堆積した箇所が検出され、位置的に排水溝に関連する遺構であると想定された。しかしこの場所は排水溝途中よりも高い場所に位置しており、そもそも水が流れていかない場所であることが確認された上に、礫も約20センチメートルと排水溝で用いられているものとは異なっていた。しかもこの場所は墳丘が約0.6メートル掘り込まれていて、礫が火によって焼けた跡が確認され、焼土、炭も検出され、礫間からは埴輪の破片も出土している。これらのことからこの場所は古墳築造後に攪乱を受けたと考えられているが、墳丘面を覆っている流土層よりも下位にあることから、攪乱は古墳築造からあまり間を置かない時期に発生したと推定されている。その際、火を用いたと考えられるものの、実際に何が行われたのかは不明である。結局、遺跡保護の観点から墳丘を断ち割って排水溝の出口を確認する発掘は断念したため、排水溝の出口部分の構造は明らかとなっていない。
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