捕虜と「非国民」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 10:29 UTC 版)
太平洋戦争での日本人捕虜第1号となった酒巻和男海軍少尉(海軍兵学校卒)は 1941年12月8日真珠湾攻撃で、特殊潜航艇「甲標的」に艇長として搭乗した。しかし、機器の故障や米軍の攻撃などで座礁した。そこで自爆を試み、海に飛び込んだが、意識を失った状態で米兵に捕らえられたため“生きて虜囚の辱を受けた“ことになった。大本営は傍受したVOAの報道から捕虜第1号の存在を初めて知り、同時に出撃した10名の写真から酒巻だけを削除し、「九軍神」として発表した(大本営発表)。酒巻の家族は人々から「非国民」と非難された。そして、それ以後捕虜になった者たちは親族が「非国民」とされるのを恐れ、偽名を申告し、ジュネーヴ条約に基づいて家族に手紙を出すようなことも控えることが多かった 。結果、その者達は“未帰還”(戦死またはMIA)となった。
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