挺進連隊一覧
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挺進第1連隊(1Ri) - 教導挺進第1連隊を復帰させて、その人員より編成。終戦時には主力は横芝、園田隊は千歳。 挺進第2連隊(2Ri) - 終戦時には宮崎県唐瀬原。 挺進第3連隊(3Ri) - 時期により教導挺進第3連隊。レイテ作戦時の秘匿名は「香取部隊」。レイテ島への降下参加者は連隊長の白井垣春少佐以下、全滅。終戦時にはネグロス島に生存者数名、ルソン島に若干名。隊舎の給水塔が遺構として、国立宮崎病院敷地内に現存する。 挺進第4連隊(4Ri) - 時期により教導挺進第4連隊。レイテ作戦時の秘匿名は「鹿島部隊」。終戦時にはセブ島・ミンダナオ島・ネグロス島に生存者計24名。レイテ作戦時の連隊長だった斉田治作少佐は、第35軍参謀長の友近美晴少将とともにミンダナオ島へ転進して1945年6月20日に同島で戦死。 挺進第5連隊(5Ri) - 1943年9月に編成。当初は歩兵大隊のほか、重火器大隊を有した。1944年11月に復帰し、滑空歩兵第1連隊及び滑空歩兵第2連隊に改編。 滑空歩兵第1連隊(1Ki) - 主力はルソン島進出時に海没して壊滅。第1挺進集団主力として別動の2個中隊は、ルソン島の戦いでほぼ全滅した。 滑空歩兵第2連隊(2Ki) - ルソン島の戦いでほぼ全滅。クラーク地区の第1挺進集団本隊全体で生存者約100名。
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