抄本について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 09:42 UTC 版)
1766年の刻本刊行までに、いくつかの抄本(筆写本)が残存するが、完本としては『鋳雪斎抄本聊斎志異』がある。済南の朱氏による1723年の抄本(朱家抄本)を張希傑が筆写したもので、1751年の日付がある。字句の異同があるが、篇次等が手稿本に最も近い最早の抄本とされている。1975年に上海人民出版社から影印本が、1979年に上海古籍出版社(中国語版)から活字本が出版された。474篇収録されている。なお、朱家抄本は残存していない。 1948年、東北(満洲)の西豊解放の時、一貧農の家から聊斎志異の作者手稿本が発見された。ただしその所収は全編でなく237篇(重複が1篇あるので実質236篇)だった。またこの手稿本にあって1766年の刻本に含まれないものや手稿本以外の写本にみられるものなどがある。 1962年、『二十四巻抄本』が発見された。これは1750-65年筆写の抄本をさらに1821-74年の間に筆写したものと見られており、1980年に活字本が刊行された。474篇が収録されている。 1963年、北京で『異史・聊斎焚余存稿』と題された6巻12冊で485篇収録された抄本が発見された。用字からみて手稿本に近く欠落もないため、最も完全で比較的早い時期の抄本とされ、1989年中国書店から影印版が出版された。
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