抄出・零本系
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 09:59 UTC 版)
集成本と分類される写本の主要なものは上記の北条本、吉川本、島津本の3点であるが、その他抄出・零本の類では前田育徳会尊経閣文庫蔵の応永13年(1406年)の奥書を持つ『山密往来』の紙背に、寿永3年(1184年)4月6日条から同年12月16日まで9ヶ月弱の抄出が見つかっており、写本中最古のものとされる(重要文化財)。また、前田家には包紙上書に「文治以来記録」と書かれた文治3年(1187年)から嘉禄2年(1226年)までの間の、流鏑馬など武芸に係わる記事43日分を抄出したものも残されている。その他伏見宮家旧蔵の伏見宮本は17日分の記事の抄本である。三条西公条筆とされる三条西本は50日前後の記事を2種類有している(その間には重複もある)。清元定本と呼ばれるものは室町幕府の奉行人清原元定が写したもので4冊計106丁である。集成本は、こうした抄出・零本系を右田弘詮、あるいは徳川家康が苦心して集めたものと見られている。
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