承兌書状の概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/15 04:20 UTC 版)
景勝卿の上洛が遅れていることについて内府様(徳川家康)は御不審をもっています。上方では穏便でない噂が流れていますので、伊奈図書(昭綱)と河村長門を下らせました。神指原に新城を作ったり、越後河口に橋を造ったりするのは特によくありません。景勝卿がそう思っていても兼続殿が意見しないのは油断であり、内府様の御不審ももっともです。 一、景勝卿に謀叛の心がなければ神社の起請文で申し開きすることが家康公のご内意です。 一、景勝卿が律儀であることは太閤様(豊臣秀吉)以来家康公もご存じです。釈明が認められれば問題はないと思います。 一、近国の堀監物(秀治)が再三謀叛の報告をされているので、しっかりした謝罪がなければ釈明は認められないと思います。ご注意してください。 一、この春、北国の肥前(肥前守=前田利長)殿も謀叛を疑われましたが、家康公の道理が通った思し召しで、疑いが晴れました。これを教訓としてご覚悟ください。 一、京都では増右(増田右衛門少尉=長盛)・大刑少(大谷刑部少輔=吉継)が家康公への話をされているので、釈明は両人へ伝えてください。榊式太(榊原式部大輔=康政)にも伝えられると良いと思います。 一、なんといっても景勝卿の上洛が遅れているのが原因ですから、一刻も早く上洛されるように、あなた(兼続)がすすめてください。 一、上方では会津で武器を集めていることや、道や橋を造っていることが問題とされています。家康公が景勝卿の上洛を待っているのは高麗(李氏朝鮮)へ降伏するように使者を使わしているからです。降伏しなければ来年か再来年かに軍勢を出すことになります。その相談もありますし、早く上洛して直接釈明されるべきです。 一、愚僧(承兌)と貴殿(兼続)は数年来親しくつきあってきましたから現状が心配です。会津の存亡、上杉家の興廃が決まる時ですから、熟慮が大切です。これは全て使者の口上にも含まれています。頓首。 豊光寺 承兌 卯月朔日 直江山城守殿 御宿所
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