承和の騒擾とは? わかりやすく解説

承和の騒擾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 23:59 UTC 版)

日本の古代東北経営」の記事における「承和の騒擾」の解説

承和4年4月16日837年5月23日)、鳴子火山噴火したため、陸奥国司玉造塞温泉石神鎮めて夷狄教諭するよう命じた承和4年4月21日837年5月28日)、鎮守将軍匝瑳末守が、去年の春から今年春に至るまで、百姓妖言をして騒擾止まず、奥郡の民が住居捨てて逃げ出していると報告した。この報告受けた陸奥出羽按察使坂上浄野は、栗原桃生以北俘囚に控弦が多く国家への反復定まらず非常事態発生すれば防御しがたいので、援兵1000人を徴発して派遣することを決定しその事承諾中央政府求めている。 承和7年3月26日840年5月1日)、陸奥守良峰木連前鎮将軍匝瑳末守は、奥郡の民がともに庚申年を称して逃亡する者があとを絶たないので、騒ぎ静めるため援兵2000人を徴発したことを報告している。また承和7年840年)は干支庚申にあたり60年前庚申年である宝亀11年780年)には伊治公砦麻呂の乱が、その60年前庚申年である養老4年720年)には大崎平野の蝦夷反乱があったことから、奥郡騒乱は「庚申年には蝦夷反乱が起こる」との言い伝えが広まるきっかけとなった

※この「承和の騒擾」の解説は、「日本の古代東北経営」の解説の一部です。
「承和の騒擾」を含む「日本の古代東北経営」の記事については、「日本の古代東北経営」の概要を参照ください。

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