手賀沼土地改良事業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 04:38 UTC 版)
「大津川 (千葉県)」の記事における「手賀沼土地改良事業」の解説
かつての大津川は河川幅3 - 4mほどで蛇行しており、耕作道もあまり整備されていなかった。当時の用水源は湧水・雨水・河川からの汲み上げ水の他、昭和初期に下流部に設置された「竜巻の堰」からの導水を灌漑用水として中下流部で使用していた。ところが昭和30年代以降の高度経済成長により、これらの水量は減少するとともに水質汚濁が進行し、農業用水確保が困難となっていった。また流下能力不足で降雨時には氾濫を起こすようになった。 この頃になると手賀沼沿岸の水害抑止のため、国営手賀沼干拓土地改良事業によって1956年(昭和31年)に手賀排水機場が完成。これに伴って周辺の基幹用水施設の整備が進んだ。手賀沼南部においては泉揚水機場が1963年(昭和38年)度より着工し、柏市・沼南町・白井町(当時)に跨る900ha以上の耕地において農業用水が確保される運びとなった。そして大津川沿岸の農家408名が1964年(昭和39年)3月に手賀沼土地改良区へ編入され、大津川工区の設立とともに県営圃場整備事業が開始された。大津川については1965年(昭和40年)2月26日告示で宮下橋より下流3,500mが一級河川に指定され、河道拡幅や農道・用排水路整備が進んだ。これらは関係農家の減歩によって用地確保が行われたことによる。圃場整備事業は1970年(昭和45年)3月に完了し、暗渠排水工事・大津川架橋といった附帯工事の後、1978年(昭和53年)度に全事業が完了した。総事業費は7億7800万円、うち25%が地元負担となった。
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