所有権の移転と解体
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/16 05:08 UTC 版)
「パーマー・マンション」の記事における「所有権の移転と解体」の解説
1902年にポッター・パーマーが、パーマー・マンションで死去したとき、妻バーサには8百万ドルの資産が遺された。夫の死後もバーサはパーマー・マンションに住み、ロンドンやパリなどの別邸も維持し続け、最後はフロリダ州サラソタ(Sarasota)で亡くなった。バーサは、フロリダ州各地に多大の不動産投資をして、農場、酪農場、牧畜場などを自ら経営し、様々な最先端の技術を導入して、フロリダ州におけるこうした農業の生産性を向上させることに貢献した。こうした多額の投資によって、バーサは受け継いだ遺産をほぼ倍増させ、1918年に彼女が死去した際にはおよそ1千5百万ドルが2人の息子ホノレ・パーマーとポッター・パーマー2世に遺された。1930年、息子たちはパーマー・マンションを、絵画コレクションごと、自動車のスターターを発明した実業家ヴィンセント・ヒューゴ・ベンディクス(Vincent Hugo Bendix)に、3百万ドルで売却した。 ベンディクスは、バーサ・パーマーの芸術品コレクションに加えて、レンブラントやハワード・チャンドラー・クリスティ(Howard Chandler Christy)の絵画を購入し、建物の名を「ベンディクス・ギャラリー」と改めた。この建物に居住している間に、ベンディクスはエレベーターを新しく作り直し、自分用に床屋の椅子を設置させた。 5年間ほど自宅としてこの建物に居住した後、ベンディクスは、2千5百万ドルを投じて世界最大のホテルを建設するため、建物を解体すると発表した。しかし、この計画は具体化することはないまま、1933年になって建物はパーマーの息子が2百万ドルの住宅ローンを組んで買い戻した。その後は空き家となったまま放置され、1950年には建物の解体がはじまり、跡地には740戸が入居する22階建ての高層アパートが建てられた 建物に収められていた、モネ、ルノワール、ドガなど、フランスの画家たちの作品を中心に、バーサ・パーマが集めた絵画のコレクションは、シカゴ美術館に寄贈され、家具調度類は売却された。
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