戦いの分析
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/02 03:15 UTC 版)
「第二次サケッツ港の戦い」の記事における「戦いの分析」の解説
サケッツ港でのイギリス軍の敗北は、ヨークとジョージ砦に対してアメリカ軍が行った上陸とその勝利に比べて評価が低い。サケッツ港の状況が守備側にやや有利だったことを差し引いてもである。その主な理由はおそらく、攻撃が十分な準備、作戦、予行演習無く始められたことである。部隊は分遣隊の寄せ集めであり、ともに訓練されたことは無かった。このことはアメリカ軍正規兵の部隊にも当てはまるが、アメリカ軍の場合はしっかりとした防御の背後から戦っているのであり、寄せ集めの不利が働かなかった。 プレボストは以前(1809年)に、マルティニーク島侵略で上陸したときに抵抗があったが、このときは直接部隊を率いた訳ではなく、サケッツ港と同じように指揮権を他の士官(ダニエル・ホートン准将)に委ねていた。プレボストは後の戦闘ではその注意深さで注目されることになった。サケッツ港で指揮権を委任したベインズ大佐はその軍歴で部隊を指揮した経験があまり無かった。ヨーは上陸部隊を指揮することで好戦的な艦長としての評価を得ていたが、このオンタリオ湖での指揮とその条件では初めてであり、5月28日の場合はその戦闘艦の大半を慎重に水深の深い水域に留めていた。29日に戦闘現場に近い岸に進めたとき、大型艦は命令も無く取り残されており、ベレスフォードのみが決定的に戦闘に関わっただけだった。
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