我が寡言知る客安き夜長かな
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評 言 |
喜谷六花(きたにりっか)は、明治十年東京浅草の生まれ。昭和四十三年逝去。下谷梅林寺の住職を務めた人。この梅林寺には碧梧桐の分骨された墓がある。明治三十四年以来ほぼ一貫して河東碧梧桐に師事。碧梧桐がルビ句を詠んでいたときと俳壇引退後は一碧楼の「海紅」に拠った。その為、非常に幅の広い句作を行っている。例えば「藺田蓮田葛飾の冬鳥白し」、「凌霄の吹かれ光れる夕立かな」、「干潟あさる犬に餌なし人ら火を焚けばそこへ来て」、「春昼罫を引いて未だ写経には至らず」など。碧梧桐の没後二度にわたり『碧梧桐句集』を編集している。 掲句は六花の初期のころの句で、新傾向初期の句集には収められているものの、定型を保っている。句意は明瞭であろう。以前何かで読んだなかに、カヌーイスト野田知佑氏が北米の川を下ったとき、偶々キャンプを共にしたネイティブアメリカンの寡黙さについて印象的に書いていた。そもそも、文字のざわめきのない、出版をしない時代の人間は、もっと寡黙な存在であっただろう。そして、己が言葉を口にするときの重みというものをよくわきまえていたであろう。僧職にあった六花にはそのような遺風が保たれていたのかもしれない。師である碧梧桐は、この句よりずっと後に六花を評して「黙っている人」という一文も書いている。それだけに、六花の句を読んでいると、新傾向という句風の持つ文体のどうしようもない饒舌さについて考えさせられるのである。 |
評 者 |
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備 考 |
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