悴むやこの橋どこへでも行ける
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冬 |
出 典 |
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前 書 |
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評 言 |
作者は、大正13年(1924年)栃木県宇都宮市生まれ。宇都宮農林専門学校(現・宇都宮大学農学部)を卒業後、同校綜合農場に勤務したが、肺結核を発病、股関節カリエスを併発して、20代の9年間入院生活を余儀なくされた。その時、主治医であった木村三男(俳句結社「風」同人)に俳句を勧められた。以後俳句と共に歩んで来た。「風」、「鷹」を経て「頂点」同人。初期の作品に どこに干してもギブスの汗が匂ふと母 あまりに近くて布団の襟の蠅逐へず 掲句には、長い闘病生活を乗り越え、ようやく普通の家庭生活ができるようになり、未来を見つめることが出来るようになった。その頃の体の奥の方から熱いものが沸々と湧いてきた、そんな気持が表れているように思う。20代という最もエネルギーに満ちた時期の空白が、作者の大きな原動力になったのではないだろうか。以後の栃木県現代俳句協会設立会長をはじめ、新聞の俳句欄の選者や俳句教室の講師など、県内を中心とした俳句界での活躍が目覚ましい。 青梅のこの表面張力が愛し 父の日の公園背凭れなきベンチ 薄翅蜉蝣とぶ空間のずれをとぶ 作者は、俳句によって得られた充実を多くの者に伝えたかったのではないかと思っているところである。 |
評 者 |
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備 考 |
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