復元修復
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/20 16:44 UTC 版)
前述のように御厨子は明治期には大破していた。建久4年(1193年)の『東大寺勅封蔵開検目録』には記載されているため、破損したのは12世紀末以降と考えられる。明治25年(1892年)には正倉院御物整理掛が開設され、木内半古が当時倉庫内に保管されていた部材を用いて復元を行った。木内は、御厨子は落雷によって壊れたとしている。破片は唐櫃の中に残されていた冠木(厨子上部の横木)と台脚は残材を利用し、天井板、棚板、床板、扉帖木などは新たに欅に赤漆を施した部材で補って作成された。また、寸法については残材から推測した。脚の格狭間の形状は残材からは分からず推測によった。 後に昭和45年に新たに御厨子の床板残材が発見された。床板は桧材であったものの寸法は木内の復元と変わらず、復元が正確であることが追認された。また、棚板に桧が使われていることから御厨子は国内で製作された可能性が高いと考えられる。特徴的なのは天板に付された葺き返し板という部材で、上辺が広がる形状になっている。同様の形状は法隆寺金堂の天蓋や伝橘夫人念持仏厨子などに見られるもので、奈良時代には「古様」とするのに違和感はない。
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