御厨海上合戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 16:00 UTC 版)
閏7月5日、日本軍は伊万里湾海上の元軍に対して総攻撃を開始。 午後6時頃、御厨(みくりや)海上において肥後の御家人・竹崎季長らが元軍の軍船に攻撃を仕掛け、筑後の地頭・香西度景らは元軍の軍船3艘の内の大船1艘を追い掛け乗り移って元兵の首を挙げ、香西度景の舎弟・香西広度は元兵との格闘の末に元兵と共に海中に没した。また、肥前の御家人で黒尾社大宮司・藤原資門も御厨の千崎において元軍の軍船に乗り移って、負傷しながらも元兵一人を生け捕り、元兵一人の首を取るなどして奮戦した。 日本軍は、この御厨海上合戦で元軍の軍船を伊万里湾からほぼ一掃した。 千人塚御厨海上合戦の舞台となった御厨と隣接する星鹿半島にある塚。元軍の死者を弔うために造られたという伝承が伝わっている。長崎県松浦市星鹿町 逃げの浦石塁築造年不詳。元寇防塁と伝承される石塁。この地に上陸した元軍がここから逃げて行ったため「逃げの浦」との地名が付いたと伝わる。長崎県松浦市星鹿町
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