後の政歴と知事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 05:50 UTC 版)
「デウィット・クリントン」の記事における「後の政歴と知事」の解説
1811年、クリントンは、連邦党のニコラス・フィッシュとタマニーホールの候補者マリナス・ウィレットを破ってニューヨーク州副知事に当選し、ジョン・ブルームの死去でできた空席を埋めた。このときの知事はダニエル・トンプキンズで、任期は1813年6月までだった。 1812年、クリントンは連邦党と民主共和党反戦派の候補者としてアメリカ合衆国大統領選挙に出馬したが、ジェームズ・マディソンに敗れた。選挙人投票ではクリントンが89票を得たのに対し、マディソンは128票だった。 ダニエル・トンプキンズがアメリカ合衆国副大統領に選ばれてニューヨーク州知事を辞任すると、知事選でピーター・ビューエル・ポーターを破って知事に当選した。クリントンは43,310票、ポーターはわずか1,479票だった。1817年7月1日、クリントンはニューヨーク州知事に就任した。1818年にも現職の副大統領トンプキンズを破って再選された。クリントンは47,447票、トンプキンズは45,900票だった。知事職は1822年12月31日まで続けた。 この2期目に、1821年ニューヨーク州憲法が制定され、知事の任期は2年間に短縮され、任期の開始時期も7月1日から1月1日に変更されたので、クリントンの任期3年間の最後の半年が短くなった。知事選の行われる時期も4月から11月に変わったが、クリントンは1822年11月の選挙で党から候補再指名を受けられなかった。 1824年、クリントンは再度知事に選出され、2期務めたが、就任中の急死によってその職が終わった。初めはリトルブリテンのクリントン墓地に埋葬され、後にニューヨーク市ブルックリン区のグリーンウッド墓地に移葬された。クリントンは市や州の課題について指導者として多くの事柄を成し遂げた。例えば、ニューヨーク州公共教育制度を改良し、蒸気船の運航を奨励し、また刑法および債務者法を修正した。1831年のデウィット・クリントン機関車はクリントンに因んで名付けられた。
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