後のオートコード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/12 05:06 UTC 版)
「Autocode」の記事における「後のオートコード」の解説
ブルッカーはまたマンチェスター大学と共同で1950年代にフェランティ・マーキュリー用のオートコードを開発した。マーキュリー・オートコードでは、変数がaからzまでとa'からz'までの52種類しかなく、ある意味で後に登場した初期のダートマスBASIC言語にも似ていた。ALGOL以前の言語であり、スタックの概念がなく、そのため再帰の記述もできず、動的な配列の確保もできなかった。 マーキュリーのメモリ容量は小さかったため、大きなプログラムをチャプターに分割し、オーバーレイのテクニックを使って実装した。チャプターの制御の切り替えには時間がかかるため、性能を上げるには特殊な技能を必要とした。ドラムを制御してオーバーレイを実現するテクニックは仮想メモリが後に実現されるまで一般的になった。マーキュリー・オートコードの別バージョンがフェランティ・アトラス(後のアトラス・オートコードとは別物)や、ICT 1300~1900で実装された。 1961年にケンブリッジ大学数学研究所のデビッド・ハートリーがEDSAC 2バージョンを開発した。EDSAC 2オートコードはマーキュリー・オートコードをベースにしてマシンに合わせた改造をしたもので、オブジェクトコードを最適化する機能があり、ソースコードのエラーチェック機能がある、当時としては先進的なコンパイラとして有名だった。ALGOL風の構文で科学技術計算向けに最適化されていた。高水準言語のCPLが完成するまでの一時的なつなぎとして、後継機種のタイタン(アトラス2のプロトタイプ)にもオートコードが実装された。CPLは結局完成しなかったが、マーティン・リチャーズがBCPLを開発し、B言語からC言語に発展した。同時期にマンチェスター大学でもアトラス1用にアトラス・オートコードを開発していた。
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