引揚船(S119)
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終戦後の1945年10月1日、宗谷はGHQから大蔵省へ移管手続が行われ、大蔵省の財産として返還された。同日付で日本商船管理局に所属するSCAJAP番号S-119が与えられ特別輸送艦S119となった。このとき宗谷丸と改名されたが艦名表記は宗谷のままだった。 10月7日、ヤップ島復員任務のため浦賀を発する。10月24日に帰還する。11月20日、グアム、トラック方面復員任務のため浦賀を発する。12月1日、第二復員省の開庁に伴い横須賀地方復員局所管の特別輸送艦に定められる。12月12日に大竹で揚陸後、呉に移動した。12月26日、上海方面復員任務のため呉を発する。以後、台湾、ベトナムのサイゴン、葫蘆(コロ)島からの復員任務に従事した。 1946年3月23日、台湾の高雄からの引揚者輸送中、船内で妊婦が産気づき出産、無事に女児が誕生。名付け親になった土井申二艦長は宗谷の一字をとって宗子(もとこ)と名付けた。1946年8月15日、特別輸送艦の定めを解かれ、8月31日付で船主が大蔵省から民間組織の船舶運営会に移籍し特別輸送艦から民間組織の引揚船になった。 1947年6月下旬、樺太から引揚者輸送中に船内で女児誕生。当時の船長が名付け親となり宗子と名づけた。1947年から1948年にかけては、大連、朝鮮、樺太からの引揚輸送に従事した。1948年11月に引揚任務を終了するまでに運んだ引揚者の総数は、19,000名以上にも達した。
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