弁財天池
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/14 03:34 UTC 版)
「狛江弁財天池特別緑地保全地区」の記事における「弁財天池」の解説
弁財天池は、本地区の「和泉」という地名の由来となった池である。『江戸名所図会』などに書かれた伝説によれば、奈良時代、全国的な干ばつが起こったとき、良弁僧都が雨乞いをしたところ泉が湧き出したという。また、『江戸名所図会』によれば、池の中島に良弁作といわれる蛇形の弁天像が置かれた。現在、この像は泉龍寺に収められている。 立川段丘の浅い谷にあり、砂利層を通って地下水が湧き出していた。この泉はいかなる干ばつでも枯れることはなかったといわれていたが、1972年(昭和47年)に湧水が途絶えてしまった。現在では井戸を掘削することにより水が確保されている。 かつては、弁財天池を水源とした清水川が流れており、周辺住民の生活用水として使われていた。1967年(昭和42年)までは、泉龍寺に水年貢を納める慣習が残っていた。さらにかつては、川を遡上した魚が生息しており、サワガニ、イモリ、モエビ、ハヤ、アユ、ウナギなどの姿が見られた。また、夏にはホタルを見ることができた。
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