弁財天と市杵島神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/17 04:11 UTC 版)
「弁天島 (根室市)」の記事における「弁財天と市杵島神社」の解説
廻船業者高田屋嘉兵衛(1769年 - 1827年)は、択捉島への航路を拓いて成功した。文化年間(1804年 - 1813年)に、高田屋嘉兵衛はこの島に弁財天を祭祀した。これがのちに「弁天島」の名前の由来とされている。しかしこの社は1843年(天保14年)に山田文右衛門が起こした失火が原因で焼失した。 再建されたのは22年後の1865年(元治2年)のことで、藤野喜兵衛が費用を負担した。明治時代に入ると地元の住民が費用を負担して春と秋の例祭を奉斎するようになり、1882年(明治15年)には村社として認められた。現在の社殿は1958年(昭和33年)建築のコンクリート製のものだが、天保6年(1835年)製の石鳥居が現存し、社宝となっている。 この弁天社はのちに市杵島神社となり、例年9月15日を祭礼日と定めて神事が営まれている。弁天島は北海道埋藏文化指定地域となっており、ふだんは上陸できないが、この祭りのときだけは根室港から渡し船が出て、上陸ができるようになる。
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