弁財天堂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 04:33 UTC 版)
方三間、宝形造、銅板葺の仏堂。建立年代は様式から江戸時代中期とみられ、解体修理時に「宝永」の年号を墨書した板(棟札か)が発見されたことから、宝永年間(1704 - 1711年)の竣工とみられる。臨済院直属ではなく、塔頭の慈峯院が別当として管理した。臨済院が廃寺となり、建物がすべて失われても、このお堂だけは地元の住民が守って維持された。昭和62年(1987年)9月に宮城町が町の有形文化財に指定し、これを受けて修理のための河北山臨済院弁財天堂修復奉賛会が作られた。宮城町は同年中に仙台市に合併したため、仙台市の文化財となり、市の補助を受けて修復奉賛会が平成元年(1989年)に堂を修理した。 弁財天堂の裏には湧き水があり、小さな池からあふれ出る細流は下って梅田川に注ぐ。かつて周辺には湿気を好み木に着生するカヤラン、モミランが生えていたが、周辺の宅地化が進むと見られなくなった。
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