建造の再開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 09:30 UTC 版)
「チェルヴォナ・ウクライナ (軽巡洋艦)」の記事における「建造の再開」の解説
内戦が赤軍の勝利の内に終結すると、アドミラール・ナヒーモフのような未成艦について二つの意見が出されるようになった。ひとつは建造を続行して艦隊に加えるべきとするもの、もうひとつはそれらの艦艇はすでに旧式の類に入ってしまっており、完成させる価値がないというものであった。海軍アカデミーの校長で軍事産業復興に関する海事分科委員会の一員であったM・A・ペトローフは、次のような理由でスヴェトラーナ級の建造続行を支持した。すなわち、1921年に進水したアメリカ合衆国のオマハ級軽巡洋艦と比べた場合、性能的にスヴェトラーナ級がこのアメリカ海軍の新鋭艦にそれほど見劣りするものではないというのである。 結果として、8 隻のスヴェトラーナ級巡洋艦のうちスヴェトラーナとアドミラール・ナヒーモフの2 隻のみの建造が認可され、バルト海と黒海の艦隊へそれぞれ1 隻ずつ配備することになった。のち、大幅に設計を変更されたアドミラール・ラーザレフもこれに加えられた。 アドミラール・ナヒーモフについて正式な決定が下ったのは、1922年12月10日に行われた第7回全ウクライナ・ソヴィエト大会でのことであった。この大会において次のことが決議された。「ソヴィエト・ウクライナと赤色黒海艦隊の友好関係強化のために...第7回大会は将来の全ウクライナ中央執行委員会(VUTsIK)に対し『ナヒーモフ』への支援とその完成のための可及的速やかなる措置を依頼する。」
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