建造と軍務
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 08:28 UTC 版)
「ミズーリ (装甲艦)」の記事における「建造と軍務」の解説
1862年10月3日、アメリカ連合国海軍省は、シュリーブポートにおいて1隻または複数の装甲艦を建造することを認めた。11月1日にジョナサン・カーター少佐が2隻の建造契約を結んだ。翌月には竜骨が据付けられ、1863年4月14日に進水した。就役は1863年0月12日であり、ミズーリの名称が与えられたが、レッド川の高水位季節はすでに終わっていた。チャールズ・フォントレロイ中佐がミズーリの艦長に任命されたが、彼はカーターに対して「このぼろ艦が沈むことを願う」、「可能ならばこの艦での任務はお断りだ」と述べている。レッド川の水位低下のため、1864年初旬に行われたレッド川方面作戦には何の寄与もできなかった。9月になって、カーター大尉はミズーリとCSS ウェブ(CSS Webb)の乗員を使ってUSS らトラー(USS Rattler)の拿捕を試みたが失敗している。 1865年3月、川の水位が上がりミズーリは初めてシュリーブポートを離れることをできた。4月8日にルイジアナ州アレクザンドリア(Alexandria)に到着し、町の防衛のためそこに投錨した。6月3日、カーターは北軍に対して降伏したが、南軍装甲艦のうち最後に降伏した艦となった。装甲が剥がされた後、11月29日にミズーリは競売で売却された。
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