建礼門院右京大夫との恋とは? わかりやすく解説

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建礼門院右京大夫との恋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 01:01 UTC 版)

平資盛」の記事における「建礼門院右京大夫との恋」の解説

建礼門院右京大夫記した建礼門院右京大夫集』では、資盛は右京大夫生涯恋人であったとされる二人の関係治承元年1177年)頃から始まったとされる平氏一門都落ち直前密かに右京大夫会っていた資盛は、日頃からの口癖として彼女に以下のような事を言い残している。この頃の資盛は心の余裕のない様子だったという。 こういう世の中になったからには自分の身が儚くなるであろう事は間違いないだろう。そうなったら、あなたは少しくらいは不憫に思ってくれるだろうか。たとえ何とも思わなくても、あなたと親しくなって長いつきあいだから、その情けで、後世弔ってほしい。もし、命が今しばらくあったとしても、今はいっさい昔の身とは思わないと心に堅く決めている。そのわけは、それが不憫であるとか、名残惜しい、あの人の事が気がかりなどと考え始めたら、思うだけでもきりがないであろうから。心弱さどのようであるかと我ながら自信がないから、今後何事も思い捨てて、どこの海にあってもあなたのところへ手紙出したするまい決心しているので、おろそか思って便りもしないとは思わない下さい万事、もう今から死んだと同じの身になったと心を決めたはずなのに、やはりともすれば以前気持ちになってまいそうなのが、とても口惜しい。 — 参考文献:『建礼門院右京大夫集新潮日本古典集成 清経維盛入水知った建礼門院右京大夫から慰め手紙受け取った資盛は、「今はただ自分の命も今日明日の事なので、ものを思う事をやめようという心境です」と返事送り兄弟の死について、 「あるほどが あるにもあらぬ うちになほ かく憂きことを 見るぞかなしき」(生きていることが生きていることにもならないこの世のうちにあって、その上こんなつらい目にあうのは悲しいことです) などの3つの歌を贈った。これが右京大夫への最後便りとなった

※この「建礼門院右京大夫との恋」の解説は、「平資盛」の解説の一部です。
「建礼門院右京大夫との恋」を含む「平資盛」の記事については、「平資盛」の概要を参照ください。

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