建白書の提出まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 08:22 UTC 版)
「民撰議院設立建白書」の記事における「建白書の提出まで」の解説
1873年(明治6年)末、いわゆる明治六年政変で、征韓論に敗れて下野した板垣ら前参議は、イギリスに留学して帰朝した古沢滋(迂郎)、小室信夫らの意見を聞き、政党の結成を思い立った。1874年1月12日、板垣らは愛国公党を結成し、反政府運動を始めた。愛国公党は、天賦人権論に立ち、専制政府を批判して、天皇と臣民一体(君民一体)の政体を作るべきと主張した。そのため、士族や豪農・豪商ら平民に参政権を与え、議会を開設せよとも主張した。
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