延伸計画とStP&Pの破綻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 07:40 UTC 版)
「グレート・ノーザン鉄道」の記事における「延伸計画とStP&Pの破綻」の解説
前述のように、資金難にも関わらずにファースト・ディビジョンが鉄道建設を進めた結果、その資金となる社債販売を請け負っていたジェイ・クック商会が破産した。クックはほかにも経営難の鉄道を抱えており、双方に私財を投入しすぎたのである。 この破産をきっかけにして1873年恐慌(Panic of 1873)が起こる。多数の鉄道が倒産し、StP&Pも倒産した。NPはかろうじて倒産を免れた。StP&Pは、前述の通り強いしがらみの中にあり、将来的な展望が開けない状況にあったが、この倒産劇は、ファースト・ディビジョンを利用する荷主であったジェームズ・ヒルにとっては絶好の機会であった。3年間、ヒルはStP&Pを徹底的に調べると、StP&Pは初期投資さえすれば、利益を生み出せる鉄道であるとの結論に達した。ヒルはノーマン・キットソン(Norman Kittson)、ドナルド・スミス(Donald Smith)、ジョージ・スティーブン(George Stephen)らと組んだ。彼らはStP&Pを購入し、取締役に収まっただけではなく、線路通行権をNPに安価で提供し、相当な距離の路線の延長も果たした。1879年5月、ヒルら四人はStP&Pを清算、改組し、セント・ポール・ミネアポリス・アンド・マニトバ鉄道(St.Paul,Minneapolis & Manitoba Railway、略称StPM&M、通称マニトバ鉄道)を設立した。ヒルは最初の目標を鉄道の延伸と改良に定めた。1882年、ヒルはマニトバ鉄道の社長に就任した。
※この「延伸計画とStP&Pの破綻」の解説は、「グレート・ノーザン鉄道」の解説の一部です。
「延伸計画とStP&Pの破綻」を含む「グレート・ノーザン鉄道」の記事については、「グレート・ノーザン鉄道」の概要を参照ください。
- 延伸計画とStP&Pの破綻のページへのリンク