廃城後の城址
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/08 01:37 UTC 版)
水口城廃城後、城の建材は一部を残し、大半が公売に付された。石垣は出丸部分と乾御矢倉部分を残しほとんどが、当時近江鉄道の線路敷設に使用されたようである。本丸御殿は一部を残して撤去された。旧本丸は学校敷地となり、現水口高校の運動場として利用されている。 その後、水堀埋め立てなどの意見も出されたが、1972年(昭和47年)に将軍家宿館遺跡としての価値が評価され、滋賀県の史跡に指定されたのを契機に保存整備への関心が高まった。そして、石垣の遺構が残る出丸跡(大手外枡形虎口部分)を整備修復し、廃城後に民家へ移築されていた本丸乾矢倉を二階造りとして再移築。水口城資料館として1991年(平成3年)11月に開館した。
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