幼少期・小学校時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 09:58 UTC 版)
国語の教師だった母の影響で幼少期から大変読書好きな子供であった。また、分からないなりに船の中の設計図を作成したり、機械いじりも得意で、幼稚園時のニックネームは「博士」。将来は設計技師になろうと思っていた。 母が会長を務める「よい本をすすめる母の会」主催のクリスマス発表会、創作童話劇「いなばの白うさぎ」でナレーターを担当。脚本・演出が父、主演は兄。この童話劇は広島テレビで放送され、その活発で愛くるしいキャラがプロデューサーの目に止まり、小学二年の時「テレビ子供ホール」という番組の司会に抜擢され半年間務める。同じ頃、少年少女合唱隊にも所属。 小学校三年の秋、ペルテスという難病に罹る。入院・自宅静養後、小学校六年で完治するまで、コルセットをはめ母親の運転する自転車の荷台で登校する日々を送る。その間、読書や天体観測に夢中になり、「地球は青かった」等の書物を読みあさり、夢は宇宙飛行士になること。NASAに入るための道筋を順序立てて考えていた。しかし、小学校上学年の時、テレビでザ・モンキーズの音楽ショーを見て音楽に興味を持つようになり中学校からギターを始める。六年生の時、アマチュア無線技士の免許を習得。
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