幼少期と教員時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/28 13:25 UTC 版)
「モンチョ・アルメンダリス」の記事における「幼少期と教員時代」の解説
父親は農場労働者であり、鍛冶屋でもあった。1949年1月27日、モンチョ・アルメンダリスはナバーラ県レオス(英語版)のオリェータ地区に生まれた。両親は3人の息子をいずれも乳児のうちに亡くしており、モンチョが最後の希望だった。生後数年間はバスク地方の農村で暮らし、この地方の風景は彼の作品に繰り返し登場している。6歳だった1955年、よりよい暮らしを求めてナバーラ県の県都パンプローナに移った。スペイン国外出身の著作家の作品を読む中で、18歳の時に実存主義と出会った。 アルメンダリスは兵役を終えると電子工学を学び、パンプローナ工学研究所で教授として教えた。この頃に映画製作に興味を持ち、映画クラブに参加した。また民俗学を学び、執筆し、抗議ソングを歌い、短編を製作するためにスーパー8mmフィルム用カメラを買った。バスク独立活動家の殺害に抗議して逮捕され、陰謀の容疑で裁判にかけられたが、1975年にフランシスコ・フランコが死去すると、アルメンダリスには恩赦が宣言された。
※この「幼少期と教員時代」の解説は、「モンチョ・アルメンダリス」の解説の一部です。
「幼少期と教員時代」を含む「モンチョ・アルメンダリス」の記事については、「モンチョ・アルメンダリス」の概要を参照ください。
- 幼少期と教員時代のページへのリンク