幡随院 長兵衛 (ばんずいいん ちょうべえ)
1622?〜1657 (??年〜明暦3年) |
【町奴】 「人は一代、名は末代」黙阿弥の歌舞伎で人気になったアウトロー。 |
江戸初期の狭客。浅草花川戸の町奴の頭目。戦国時代が終わると、安定した社会からあぶれた旗本武士や町人が多数江戸に発生、奴と呼ばれる無頼の徒になった。幡随院長兵衛は、大名・旗本への奉公人の口入屋を営んでいた。1657年、旗本奴水野十郎左衛門と口論となり、無礼討にされたが、その背景には旗本奴と町奴の勢力争いがある。この事件が後年、黙阿弥の芝居や講談で取り上げられ、有名になった。 |
年(和暦) | ||
●1624年 (寛永元年) | ■スペイン船の来航禁止 | |
●1629年 (寛永6年) | ■女舞・女歌舞伎の禁止 | |
●1637年 (寛永14年) | ■島原の乱 | |
●1639年 (寛永16年) | ■ポルトガル船の来航禁止 | |
●1641年 (寛永18年) | ■平戸商館を長崎出島に移す | |
●1643年 (寛永20年) | ■田畑永代売買禁止令 | |
●1651年 (慶安4年) | ■慶安の御触書公布 |
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