幕末期の陽明学信奉者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/03 03:38 UTC 版)
幕末の維新運動は陽明学に影響を受けている。高名な偉人では吉田松陰、高杉晋作、西郷隆盛、河井継之助、佐久間象山らが影響を受け、大塩平八郎の乱に代表されるように革命運動に身を挺した者も多い。 一方、陽明学の造詣の深さで、佐久間象山と対比される備中松山藩の山田方谷は、陽明学の持つ危険性を承知した上で、弟子には先に朱子学を学ばせ、有望な弟子にのみ、陽明学を教えた。 山田方谷と佐久間象山は佐藤一斎が塾頭をしていた昌平黌で学んでいる。塾長の方谷に若き日の象山がいどんだ連夜の激論は塾の語り草であり、佐門の二傑と称された。 佐藤一斎は朱子学を奉ずる昌平黌の儒官であり、公然と陽明学の理を主張し得なかったが、著書の『大学一家私言』は陽明学の視点で書かれたものであり、また、幕末の志士に大きく影響をあたえた『言志四録』には陽明学の思想が散見される。また、一斎が中江藤樹を尊崇していたことや、彼の門から陽明学の影響を受けたものが多数輩出していることなどから、一斎が陽明学を奉じていたことは明白であるとされる。そのため「陽朱陰王」のそしりを受けたが、その主とする所は陽明学に存すると言える。
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