幕末期の戦功
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 07:00 UTC 版)
元治元年(1864年)、禁門の変で長州藩遊撃隊総督の来島又兵衛を狙撃して倒すという戦功を挙げ、西郷隆盛や大久保利通から高く評価された。慶応3年(1867年)、藩の御兵具一番小隊長に任命され、西洋兵学を学んだ。 慶応4年(1868年)、戊辰戦争の鳥羽・伏見の戦いに薩摩官軍大隊長として出征し、上野戦争では彰義隊潰走の糸口をつくる。東北に転戦し、磐城浅川の戦いで敵弾により負傷したが、傷が癒えると会津戦争に参加。戦功により明治2年(1869年)、藩の兵器奉行に昇進した。
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