帝国的拡がりを得たマリ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/02 19:05 UTC 版)
「スンジャタ・ケイタ」の記事における「帝国的拡がりを得たマリ」の解説
詳細は「マリ帝国」を参照 キリナの戦いに勝利を収めたマンサ・スンジャタは、現代のマリ共和国とギニア共和国との国境付近にあったとみられるニアニに都を定めた。その後もティラマカン・トラオレ(フランス語版)(Tiramakhan)をはじめとする優秀な武将の協力を得ながら領土拡張を続け、ガーナ帝国の旧領はすべて支配下に組み入れた。ジョロフ王はティラマカンに討たしめ、ジョロフ王国を服属させることに成功した。ティラマカンは、かつてのスマングルの同盟者たちを討伐するうち、現代のセネガル、ガンビア、ギニア・ビサウに相当する地域(マンデ人の故地であるサヘルと気候が違い、ジャングルが卓越する)にまで分け入った。ティラマカンはバイヌク人(フランス語版)の王キキコ(Kikikor)と戦い、現在のギニア・ビサウに相当する地域の内陸部にあったキキコの国をマリの版図に組み入れると共に、その国の名をカーブ国(英語版)とした。スンジャタ自身は、ジャフヌ(Diafunu)とキタ(英語版)(Kita)の征服を担った。征服地はみなスンジャタに従い、スンジャタの威信は「マンサ」の称号に違わぬものとなった。しかし彼は絶対的な君主にならず、「マリ帝国」は各部族がマリの宮廷に代表を送る連邦制のような体制をとったとされる。各部族に序列があり、もっとも優先される部族(トライブ)が、トラオレ、カマラ、コロマ、コンデ(Traore, Kamara, Koroma, Konde)の各氏族(クラン)と、ケイタ裔の氏族であった。マンサには臣民に勅令を実行させたり、跡継ぎ(主にマンサの息子か兄弟姉妹の息子から選ばれた)を選んだりする権力があったが、その権力の執行を監視する役割を持つグバラ(英語版)と呼ばれる議会が存在した。13世紀から14世紀後半にかけて帝国は最盛期を迎えたが、その後は属国の中にはマリへの服属関係から脱却して自立する国が現れ始め、次第に衰退した。かつての属国の中には独自の帝国を構えた国もあった。
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