市河氏の発祥
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 07:46 UTC 版)
市河氏の出自については、複数の説が存在する。 江戸時代後期に編纂された『甲斐国志』によれば、市河氏は甲斐国巨摩郡市河荘(現・山梨県西八代郡市川三郷町)を本貫地としたという。さらに、『新編武蔵風土記稿』によれば、市河氏の祖は甲斐源氏(清和源氏義光流)で、源義光の子・武田義清の弟である市河別当刑部卿阿闍梨覚義を祖とする。『太平記』巻三十三によれば、南北朝時代には南朝方である上野国の新田義興に属した「市河五郎」の活動が見られる。 さらに、鎌倉後期までに信濃国高井郡に遷住して北朝側についた藤原姓を称する系譜(市河文書も参照)や、橘姓もあって複雑である。鎌倉時代末期に足利高氏軍に参じた信濃の市河助房は「神」と署名していることから、この時期は諏訪神党に属していたと考えられるが、後述の市河高光は『吾妻鏡』で藤原姓となっており、戦国時代の市河信房が藤原姓を称した記録も残されている。江戸時代に市河氏が仕えた上杉家の記録『米府鹿子』によると「滋野氏 本領信濃」とされている。同じく米沢藩士市河氏が伝えた「藤原姓市川氏系図」では藤原姓となっており、これらの藤原姓は藤原助弘に始まる中野氏の婿となった市河重房に繋がる系統である可能性が高い。なお、藤原姓は他氏族からの冒姓例も多いため注意が必要である。また、平安時代末期に越後に勢力を持っていた桓武平氏繁盛流大掾氏(常陸平氏)の支族城氏(越後平氏)の流れとする説もある。
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