市政方針の表明
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 23:05 UTC 版)
九鬼喜久男は47歳の若さと清新さを前面に押し出しながら、1966年(昭和41年)3月に市議会において、市政全般にわたる所信を表明した。九鬼市長の基本認識は、 「四日市市の産業は、日本経済の高度経済成長とともに順調な発展をなし、四日市市民の生活も一段と向上いたしましたがこの反面、公共投資を含む社会開発は、必ずしも意のごとく進行せず、相当なひずみ弊害があり、農業と中小企業の近代化促進、教育施設、文化施設、福祉施設、道路網、公園緑地、下水道設備等インフラなどの都市環境の早急な整備が強く望まれる」 として、平田市長時代の都市環境整備のための都市改造計画の具体化を強調した。平田市長時代からの懸案であった、四日市港の整備と霞ヶ浦付近の埋め立て問題については、1966年(昭和41年)4月から四日市港管理組合と四日市港開発事業団を発足させて、「契機に今後ますます四日市港の整備と港湾の修築をはかり、同時に埋め立てと相まって、その開発計画の推進を慎重に検討いたしたいと思います」と述べ、平田市政下で押し進められた霞ヶ浦付近の埋め立て工事と北部開発計画を引き続き推進しようとした。 しかし九鬼は、平田市政の施策をすべて継承する立場をとらず、意見の不一致が多かった三重県と四日市市の関係修復と協調の推進を強調したことが注目された。
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