市原市立市東第一小学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 03:38 UTC 版)
「市原市の小学校一覧」の記事における「市原市立市東第一小学校」の解説
1882年(明治15年)、瀬又小学校、東国吉小学校、永吉小学校が合併、中野光徳寺に三成小学校として開校した。1892年(明治25年)には高等科を設置し、名称を三成尋常高等小学校に改めている。 1940年(昭和15年)には更に大正小学校と合併、市東尋常高等小学校に改称。改称は更に続き、1941年(昭和16年)に市東村立市東国民学校、1947年(昭和22年)に市東村立市東小学校、この改称の翌々年となる1949年(昭和24年)に2校に分離し、本校は市東村立市東第一小学校となった。 更に、1956年(昭和31年)には市津村立市東第一小学校、1961年(昭和36年)に市津町立市東第一小学校、1963年(昭和38年)に現校名の市原市立市東第一小学校と改称し現在に至る。 1972年(昭和47年)に創立90周年となり、同年に現在地建立の新校舎に移転している。2012年(平成24年)には創立130年を迎えた。 市原市の東端に位置し、学区は永吉・番場・押沼・中野・高田・瀬又・萩の台・瀬又台・誉田グリーンヒル・高倉・金剛地・奈良・東国吉・古都辺の15町会より構成されており、校区地域は元は農村地帯だった。京葉工業地帯の造成に伴う地域内の団地造成進行が影響し1975年(昭和50年)頃から通学児童数が増加、最大ピークは1983年(昭和58年)の18学級658名で、以降は減少傾向が続いている。 2016年(平成28年)にはスクールバスでの登下校を開始しており、また、2017年(平成29年)には市原市立市東第二小学校との統合が決定している。 通学区域 永吉、中野、高田、番場、押沼、瀬又、高倉、東国吉、金剛地、奈良、古都辺、山之郷飛地
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