巴賞のマッチレース
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/28 14:56 UTC 版)
「ハギノトップレディ」の記事における「巴賞のマッチレース」の解説
その後、ハギノトップレディは高松宮杯を6馬身差で逃げ切って母娘2代制覇を達成すると、8月2日の函館のオープン競走、巴賞に登場した。巴賞には、この年の春に桜花賞を無敗のまま優勝したブロケードも登録していて、新旧の桜花賞馬の対決となった。ブロケードもハギノトップレディと同じように桜花賞を逃げ切って勝った快速馬で、ハギノトップレディは59キロを背負い、ブロケードと4キロの斤量差があった。斤量1キロ差につき1馬身差と言い、6馬身差が1秒差に相当するため、ハギノトップレディは4馬身(3分の2秒)のハンデを負っていることになる。逃げ比べはどちらが制するのか、ローカル開催のただのオープン競走が競馬ファンの注目を集めた。ハギノトップレディは単枠指定され、1.4倍の大本命。 スタート直後、一番内側の1番枠から飛び出したハギノトップレディが先手を奪うと、ブロケードは2番手でこれを追いかけた。ハギノトップレディはあっという間に5馬身の差をつけ、やはり年上に一日の長があるものと思われた。しかし、ブロケードは3コーナーで先を行くハギノトップレディとの差をぐんぐん詰めて上がってゆくと、逆に1馬身先に出た。常にスピードを活かして逃げ切るレースをしてきたハギノトップレディにとって、直線に入る前に並ばれたのは後にも先にもこれが唯一である。 マッチレースになった。最終コーナーでハギノトップレディはブロケードに並んだ。ブロケードを先頭に最後の直線を向くと、ハギノトップレディは再びブロケードに迫り、首を並べて激しい追い比べとなった。最後に頭ひとつだけハギノトップレディが出たところがゴールだった。この巴賞は、トウショウボーイとテンポイントが競り合った有馬記念と並び称されるマッチレースとして有名になった。 ハギノトップレディの現役最後の競走は10月の毎日王冠となった。当時は2000メートルで行われた毎日王冠で、ハギノトップレディは1000メートルの通過タイムが57秒4というペースで逃げた。1000メートルの日本レコードは、2年前のデビュー戦で自ら更新するまで、57秒4だった。つまり2000メートル戦であるにもかかわらず、1000メートルのレコードに匹敵する猛ペースである。結局ハギノトップレディはつかまって8着に沈み、ジュウジアローがレコードタイムで勝つことになった。この年初めて開催されるジャパンカップに出るという話もあったが、ハギノトップレディはこれで引退することになった。
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