岩手山中世の縁起とは? わかりやすく解説

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岩手山中世の縁起

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 17:42 UTC 版)

大武丸」の記事における「岩手山中世の縁起」の解説

中世岩手山鎌倉御家人工藤氏流れを汲む栗谷川氏(厨川氏)が大司祭となって祭礼が行われていた。『岩手山記』に掲載された「陸奥岩手郡鷲山縁起」には、田村丸鬼人退治源家安倍征討語られる。この縁起出所不明だが、南部氏に関する事績見えないため、内容古態残していると推測される往古から代々祭事司っていた工藤斎藤家の手による岩手山縁起で、栗谷川如行の名前が見えることから慶長以降江戸時代初期古記録から如行が転写したものとみられる。 「陸奥岩手郡鷲山縁起」は建久元年1190年5月28日に、この地を領した工藤小次郎行光大宮司として配下引き連れて鷲山登山したと、祭礼始まり記したもので、要約すると「桓武天皇時代坂上田村麿奥州山嶽高丸大嶽丸・吹落征伐時に行基作の阿弥陀薬師観音祀って三神勧進し国土守護神とした」「安倍氏崇敬していた岩鷲山阿弥陀三尊を、源頼義義家親子盗み源平の戦い前九年の役)に勝って高家になった」「工藤行光源頼朝より阿弥陀薬師観音三像を賜って大宮司任じられた」とある。このように中世岩手山信仰は「本尊阿弥陀薬師観音」を祭ることから宗教的に平安時代後期から中世わたって興隆した熊野信仰基調に、歴史的に田村麻呂蝦夷征討源頼義義家安倍征伐伝承基調に、工藤家斉藤家の「家の語り」を加えた岩手山縁起創出継承されていた。

※この「岩手山中世の縁起」の解説は、「大武丸」の解説の一部です。
「岩手山中世の縁起」を含む「大武丸」の記事については、「大武丸」の概要を参照ください。

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