岩屋観音とは? わかりやすく解説

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岩屋観音

読み方:イワヤカンノン(iwayakannon)

正称 大岩寺

宗派 曹洞宗

所在 愛知県豊橋市

本尊 千手観世音菩薩

寺院名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

岩屋観音

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/14 05:17 UTC 版)

岩屋観音(いわやかんのん)は、仏教寺院で日本の各地に存在する。




「岩屋観音」の続きの解説一覧

岩屋観音

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/29 00:54 UTC 版)

大岩寺」の記事における「岩屋観音」の解説

伝承によれば天平2年730年)に、全国行脚する行基が1尺1寸の木造千手観音彫り岩穴祀ったという。これが大岩寺境外仏堂岩屋観音の始まりであり、岩屋観音の1坊であった大岩寺起源とされる天正13年1585年)、岩屋山炎上し観音堂以下、寺は衰退した天正18年1590年)、天下人関白豊臣秀吉により神君関八州移封となり、東三河池田照政(後の輝政)が封じられた。三河国吉田城となった照政は岩屋観音を信心していたと伝わる。 宝永4年1707年旧暦10月宝永地震発生する直前遠江国白須賀宿泊まった輝政の曾孫である池田綱政夢枕観世音菩薩現れ今後起き地震津波の難を告げたという。綱政一行急ぎ海道を西に上り三河国二川宿入ったマグニチュード8.4とも推定される大地震起こり東海から九州にかけて大津波襲い白須賀宿は南から来た海水前に飲み込まれ壊滅した命拾いをした綱政は観音冥加考え、岩屋観音に帰依した。綱政が寄進した観音経1巻絵馬4黄金灯籠1対は、豊橋市指定有形文化財となっている。

※この「岩屋観音」の解説は、「大岩寺」の解説の一部です。
「岩屋観音」を含む「大岩寺」の記事については、「大岩寺」の概要を参照ください。

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