岩屋観音
岩屋観音
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/29 00:54 UTC 版)
伝承によれば天平2年(730年)に、全国を行脚する行基が1尺1寸の木造の千手観音を彫り岩穴に祀ったという。これが大岩寺の境外仏堂岩屋観音の始まりであり、岩屋観音の1坊であった大岩寺の起源とされる。天正13年(1585年)、岩屋山が炎上し、観音堂以下、寺は衰退した。 天正18年(1590年)、天下人関白豊臣秀吉により神君関八州移封となり、東三河に池田照政(後の輝政)が封じられた。三河国吉田城主となった照政は岩屋観音を信心していたと伝わる。 宝永4年(1707年)旧暦10月、宝永地震が発生する直前、遠江国白須賀宿に泊まった輝政の曾孫である池田綱政の夢枕に観世音菩薩が現れ今後起きる地震や津波の難を告げたという。綱政一行は急ぎ、海道を西に上り、三河国二川宿へ入った。マグニチュード8.4とも推定される大地震が起こり、東海から九州にかけて大津波が襲い白須賀宿は南から来た海水の前に飲み込まれて壊滅した。命拾いをした綱政は観音の冥加と考え、岩屋観音に帰依した。綱政が寄進した観音経1巻、絵馬4枚、黄金灯籠1対は、豊橋市の指定有形文化財となっている。
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