山川出版社『詳説日本史』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 04:20 UTC 版)
「加藤陽子」の記事における「山川出版社『詳説日本史』」の解説
前述のとおり、加藤は1999年頃から山川出版社の教科書『詳説日本史』の執筆に関わっているが、この教科書は加藤自身にとっては満足のいく出来ではなかった。このときの経験をもとに、歴史研究の「凄み」を高校生に示したいという内容の「私が書きたい『理想の教科書』」という論考を2002年の『中央公論』に発表している。この論考を読んだ編集者の声掛けをきっかけに、のちに『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』が執筆されることとなった。 この教科書『詳説日本史』については、昭和期の執筆者が伊藤隆から弟子の加藤陽子に交替したことで、大きな書き換えが行われたともいわれる。南京事件に関する記述を、伊藤隆が「日本軍は非戦闘員をふくむ多数の中国人を殺害し」と一行ですませていたのを、(見本本において) 加藤は分量を三倍近くふくらませ、「日本軍は南京市内で略奪・暴行をくり返したうえ、多数の中国人一般住民 (婦女子をふくむ) および捕虜を殺害した (南京事件)。犠牲者数については、数万人~四〇万人に及ぶ説がある」と書き直した。これについて、上杉千年は「理科の教科書に〈月に兎がいるという説がある〉と書くに似ている」と非難し、秦郁彦も加藤について「左翼歴史家のあかしともいうべき自虐的記述は、正誤にかかわらず死守する姿勢が読み取れる。つける薬はないというのが私の率直な見立てである」と非難している。
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