山代二子塚古墳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/13 22:47 UTC 版)
山代二子塚古墳 | |
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![]() 墳丘(左に前方部、右奥に後方部) | |
所属 | 山代・大庭古墳群 |
所在地 | 島根県松江市山代町(字二子塚) |
位置 | 北緯35度26分20.88秒 東経133度5分14.95秒 / 北緯35.4391333度 東経133.0874861度座標: 北緯35度26分20.88秒 東経133度5分14.95秒 / 北緯35.4391333度 東経133.0874861度 |
形状 | 前方後方墳 |
規模 | 墳丘長94m |
埋葬施設 | 横穴式石室? |
出土品 | 須恵器・埴輪 |
築造時期 | 6世紀中葉-後半 |
史跡 | 国の史跡「山代二子塚」 |
地図 |
山代二子塚古墳(やましろふたごづかこふん)は、島根県松江市山代町にある古墳。形状は前方後方墳。山代・大庭古墳群を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定されている(指定名称は「山代二子塚」)。
概要
古墳名 | 墳形 | 埋葬施設 | 築造時期 | 史跡指定 |
---|---|---|---|---|
大庭鶏塚古墳 | 造出付方墳 | 不明 | 6c前半-中葉 | 国の史跡 |
山代二子塚古墳 | 前方後方墳 | 横穴式石室? | 6c中葉-後半 | 国の史跡 |
山代方墳 | 方墳 | 石棺式石室 | 7c初頭 | 国の史跡 |
山代原古墳 | 方墳 | 石棺式石室 | 7c前半 | なし |
島根県東部、松江市南郊の茶臼山西麓の微高地(乃木段丘)上に築造された大型前方後方墳である。大庭鶏塚古墳・山代方墳・山代原古墳とともに、大型後期古墳群である山代・大庭古墳群を形成する。1908年(明治41年)に後方部墳丘が削平され、1925年(大正14年)の『島根縣史』に全国で初めて「前方後方墳」の名称とともに記述されているほか、1990年度(平成2年度)以降に発掘調査が実施されている。
墳形は前方後方形で、前方部を西南西方向に向ける。墳丘は2段築成。墳丘外表では上段にのみ葺石が認められるほか[2]、円筒埴輪・形象埴輪(四つ足動物脚部)・須恵器(出雲型子持壺、伝世品に有蓋高坏)が検出されている[3]。墳丘周囲には長方形の周溝・外堤が巡らされており、周溝の幅は約5-7メートルを測り、周溝を含めた規模としては長さ約104メートル・幅約70メートル[4]、外堤を含めた規模としては長さ約150メートルにおよぶ[3]。埋葬施設は未調査のため明らかでないが、墳丘断面の地中レーダー探査によれば横穴式石室と推測され、石室全長10メートルにおよぶ大型石室と見積もられる[4]。副葬品は詳らかでない。
築造時期は、古墳時代後期の6世紀中葉[4][3]または後半[5][6](山陰須恵器編年II期新段階-III期古段階[3])頃と推定される。山代・大庭古墳群の他の古墳とともに、出雲地方東部の最高首長墓に位置づけられるとともに、「前方後方墳」という名称が初めて使用された学史上としても重要な古墳である。
古墳域は1924年(大正13年)に国の史跡に指定されている。現在では史跡整備のうえで公開されている。
遺跡歴
- 1908年(明治41年)、陸軍歩兵第63連隊の松江市津田村古志原への移転に伴い、射撃練習場等の施設設置の際に後方部墳丘東半の削平。
- 1924年(大正13年)12月9日、「山代二子塚」として国の史跡に指定(大庭鶏塚古墳と同時)[7]。
- 1925年(大正14年)編纂の『島根縣史』第4巻に記述。全国で初めて「前方後方墳」の名称使用。
- 1980-1981年(昭和55-56年)、墳丘測量調査(島根大学法文学部考古学研究室)。
- 1990-1991年度(平成2-3年度)、史跡整備事業に伴う範囲確認調査:第1・2次調査(島根県教育委員会、1992年に報告)[8]。
- 1994-1995年度(平成6-7年度)、史跡整備事業に伴う範囲確認調査:第3・4次調査(島根県教育委員会、1996年に報告)。
- 1996-1997年度(平成8-9年度)、史跡整備事業:後方部東半復元・墳丘盛土土層見学施設整備(島根県教育委員会、2001年に報告)[3]。
- 1998年(平成10年)3月、古墳南側にガイダンス山代の郷が開館[3]。
- 2000年度(平成12年度)、土地買い上げ後の環境整備工事に伴う発掘調査(島根県教育委員会、2001年に報告)[9][3]。
- 2017年(平成29年)2月9日、史跡範囲の追加指定[7]。
墳丘

墳丘の規模は次の通り[3]。
- 古墳総長
- 墳丘長:推定復元94メートル
- 後方部
- 長さ:推定復元57メートル
- 幅:53メートル
- 高さ:約8メートル
- くびれ部
- 幅:約33メートル
- 前方部
- 幅:約55メートル
後方部は明治期に3分の1が削平されているが、現在は復元され、墳丘盛土土層見学施設が整備されている。墳丘周囲に巡らされた周溝は、後方部南辺で墳丘南側に大きく張り出しており、何らかの施設の存在を示唆する[6]。
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前方部から後方部を望む
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後方部から前方部を望む
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後方部墳丘断面
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円筒埴輪
島根県立八雲立つ風土記の丘展示。
埋葬施設
埋葬施設は明らかでないが、後方部の墳丘断面における地中レーダー探査によれば、横穴式石室の存在が推測される。石室の規模は、全長10メートル・高さ4.5メートル程度と見積もられ、長大な石室となる可能性がある[6]。
文化財
国の史跡
- 山代二子塚 - 1924年(大正13年)12月9日指定、2017年(平成29年)2月9日に史跡範囲の追加指定[7]。
関連施設
- ガイダンス山代の郷(松江市大庭町)
- 島根県立八雲立つ風土記の丘(松江市大庭町) - 山代二子塚古墳の出土品を展示。
脚注
参考文献
(記事執筆に使用した文献)
- 史跡説明板(松江市教育委員会、1997年設置)
- 地方自治体発行
- 『風土記の丘地内遺跡発掘調査報告VIII -山代二子塚古墳-』島根県教育委員会、1992年。 - リンクは奈良文化財研究所「全国文化財総覧」。
- 『山代二子塚古墳 -平成12年度国指定史跡山代二子塚古墳環境整備事業に伴う発掘調査報告書-』島根県教育委員会、2001年。 - リンクは奈良文化財研究所「全国文化財総覧」。
- 『山代二子塚古墳整備事業報告書』島根県教育委員会、2001年。 - リンクは奈良文化財研究所「全国文化財総覧」。
- 事典類
- 「山代二子塚古墳」『島根県の地名』平凡社〈日本歴史地名大系33〉、1995年。ISBN 4582490336。
- 渡辺貞幸「二子塚古墳 > 山代二子塚古墳」『続 日本古墳大辞典』東京堂出版、2002年。ISBN 4490105991。
- 「山代二子塚」『国指定史跡ガイド』講談社。 - リンクは朝日新聞社「コトバンク」。
関連文献
(記事執筆に使用していない関連文献)
- 『風土記の丘地内遺跡発掘調査報告XI -山代二子塚古墳 付:東百塚山古墳群-』島根県教育委員会、1996年。
- 「山代二子塚古墳」『松江市史』 史料編2 考古資料、松江市、2012年。
関連項目
外部リンク
- 山代二子塚古墳のページへのリンク