尼港住人と白軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 08:50 UTC 版)
「白衛軍」も参照 1850年にニコラエフスク港は建設され、ロシアの極東開港場としては最古のものである。ロシア官憲は港発展策としてユダヤ人にロシア人と同様に土地家屋の私有権を与えたことから有産階級の大部分はユダヤ人によって構成されていた。 ロシア革命の進展により、ニコラエフスクは治安が悪くなり白昼でも強盗が行われ、少しでも金を持っていそうな者はピストルで射殺されたり、銀行も金品を強奪されることから、イギリス、アメリカ、日本の銀行に依頼して預金替がされたり、島田商会(後述)が預金依頼されるほどであった。漁業を営んでいたユダヤ人の資産家たちは革命によって購買組合や労働者に業を奪われるようになりウラジオストクに逃れる者も少なくなかった。 1918年には、ニコラエフスクにも赤軍が進駐し、ソビエト政権が成立していた。しかし赤軍は、サハリン州(当時、ニコラエフスクはサハリン州に含まれていた)全体で300人ほどの少数にすぎず、日本軍の上陸によって追われ、やがてロシア海軍提督アレクサンドル・コルチャークによる臨時全ロシア政府(en)に代わった。「ニコラエフスクの支配階層市民102名が日本軍を呼んだ」という資料も、ソ連側にはあり、日本側も「尼港市民と内外居留民(イギリス人などもいた)が日本海軍陸戦隊の上陸を請願した」と記している。 ニコラエフスクとその周辺では、白衛軍系の守備隊が治安維持にあたっていた。1919年の夏には将校以下350人ほどの人数がおり、日本軍と協力していた。
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