小森豪人による創作説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 02:15 UTC 版)
「なんちゃっておじさん」の記事における「小森豪人による創作説」の解説
1978年3月20日、なんちゃっておじさんは作家の小森豪人(馬場祥弘)創作の架空の人物だとする記事が朝日新聞に掲載された。前述の日本ヘルスメーカーの呼びかけに対し、小森が同社に赴いて明かしたものである。同年の雑誌『文藝春秋』6月号には「ナンチャッテおじさんの告白」と題し、小森が創作に至るまでのエピソードが掲載された。 小森によれば、1970年(昭和45年)に「電車内で『なんちゃって』と言って乗客を笑わせる男性『なんちゃっておじさん』を見た」というギャグを考案したが、当時はまったく受けなかった。後の1977年、酒の席で「なんちゃっておじさんを見たという架空の話を広める」と友人たちに提案。同年に前述のようなラジオの投書が始まったという。 小森からこの話を打ち明けられた日本ヘルスメーカーは、1970年時点のテレビ番組で小森が前述のギャグを演じていたことを共演者の証言などで確認し、新聞紙上での公表に踏み切った。公表の直後から小森への取材、メディアへの出演依頼、執筆依頼などは計80件以上にも昇り、小森は取材に対し「なんちゃって」のポーズを何度も実演する羽目になった。 この小森の公表の理由は、朝日新聞の記事によれば、冗談半分で行ったことが予想以上に世間に広まったことへの申し訳なさとされている。一方で『文藝春秋』の記事によれば、妻が小森自身をなんちゃっておじさんと思い込んで自作自演をやめるよう訴えたことや、報道陣が自分の家を探り出したことで逃げ場がないと感じたこととされている。 小森の公表時期は、なんちゃっておじさんのブームが徐々に下火になっていた頃にあたるが、この公表から約1か月後、完全にブームは沈静化した。小森の公表による失望感、社会を混乱させたことへの世間の怒りがこの沈静化の原因の一つとも見られている。なんちゃっておじさんの目撃談を語った小学生たちも、それが架空の存在だと報道されるや、目撃談が偽証であったとされ、周囲から批難される羽目になったという。
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