小川町における板碑関連遺跡の確認
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 23:31 UTC 版)
「下里・青山板碑製作遺跡」の記事における「小川町における板碑関連遺跡の確認」の解説
板碑の素材となる緑泥石片岩(以下、「青石」と表記)の産地としては、荒川上流の埼玉県長瀞町のほかに、小川町も有力な候補地であった。小川町内には、青石の採掘地と伝承される場所はあったが、学術調査が実施されていなかったため、遺跡とはみなされていなかった。2001年、三宅宗議が小川町大字下里の割谷(わりや)地区にて、同年、池上悟が割谷地区と西坂下前(にしさかしたまえ)地区にて、加工痕のある石材を見出し、学術誌に報告した。これ以後、当該地区の遺跡としての認知が進む。2007年には磯野浩司、伊藤宏之が割谷地区で出土した板碑の未成品(作りかけの製品)について報告した。これにより、当該地区が中世にさかのぼる遺跡であることがわかり、青石の採掘のみならず加工も行われていたことが明らかとなった。小川町教育委員会では、2012年から試掘と遺跡分布調査を実施。その結果、大字下里と大字青山に計19か所の採掘遺跡が存在することがわかった。これら19か所の遺跡名称は以下のとおりである。 大字下里 - 割谷、割谷前、西坂下前A、西坂下前B、東坂下前、横吹、内寒沢、愛宕山A、愛宕山B、徳寿山、栗木谷、堀切、甲西山 大字青山 - 大沢入、大沢谷、浅間山、立巌A、立巌B、立巌C 以上19か所のうち、割谷、西坂下前A、内寒沢(うちかんざわ)の3地区が「下里・青山板碑製作遺跡」として、2014年、国の史跡に指定された。 割谷地区は仙元山の南麓、西坂下前A地区は割谷の東方、内寒沢地区は西坂下前の北方、槻川の対岸(左岸)に、それぞれ位置する。3地区のいずれにも青石の露頭があり、その付近の斜面や平場には多量のズリ(不用石材の破片)がみられ、「ズリ斜面」「ズリ平場」と呼ばれている。また、青石の採掘跡に由来する微地形(谷や窪地)があり、平場にはズリが堆積した「ズリ山」が形成されている。割谷地区の露頭には「ヤ穴」がみられる。ヤ穴とは、「ヤ」というクサビ状の道具を用いて石を割り取った跡のことである。また、各地区からは板碑の未成品が検出され、これらの地区では原料の石材の採掘のみならず、加工も行われていたことがわかる。
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