小型鯨類の漁の発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 15:41 UTC 版)
「太地いさな組合」の記事における「小型鯨類の漁の発展」の解説
太地町では漁業者により,網捕り式捕鯨が衰退する江戸時代末期頃から,漁閑期に副業として,ゴンドウ漁が行われていたが,網捕り式捕鯨が消滅した後は,網を使った追い込み漁でも捕獲されるようになった。太地町史によると,太地港には,毎年季節に応じてムロ,カマス,コガツオ,イワシの他に,サカマタ(シャチ)に追われたマグロ,ゴンドウなどが大群で押し寄せてくることがたびたびあった。地元ではこれらを「寄せ物」と呼んだ。寄せ物を発見する山見には,常時山見番人が置かれ,寄せ物を発見したときは,旗をふったりホラ貝を吹いて村中にそれを知らせ,それを知った村人は,総がかりで「建網」という漁法でこれら寄せ物を捕獲する慣習があった。「寄せ物」の水揚金の処分は,漁獲に夫役した者の賃金,諸経費を差し引き村の収入とされていたが,明治末期ごろより,寄せ物の回遊は,機械船の航行により減少した。ゴンドウの湾内追い込みも,テント船仲間による追い込み活動となり,捕獲頭数は,1933年86頭,1936年25頭,1944年35頭と記録されている。これら捕獲されたゴンドウは,南海電鉄や阪神電鉄に,阪神地方での見物用として販売されていた。 上記以外にも、太地町史の493頁に書かれた1899年(明治32年)の追い込み漁は、「山見」(見張り)が61頭のゴンドウクジラの群れを発見し行われている。 日本では原始時代から小型鯨類の捕獲があったため、太地町での小型鯨類の捕獲がいつごろからはじまったかはわかっていない。太地町沿岸では、1606年(慶長11年)に大規模組織編成の捕鯨(突捕り式)が始まり、次いで1675年(延宝3年)に網取り式の捕鯨が開発され、江戸時代の日本国内に知られるほど盛んになったが、同時期に既に、手銛や網を使用した小型鯨類の捕獲(漁猟)が行われていた。この漁はその後、 動力船や捕鯨銃を使用する小型沿岸捕鯨業へ 捕鯨銃や捕鯨砲を使用しない手投げ銛漁法は、突きん棒漁業へ 網を利用した漁法は、追い込み漁業へ とそれぞれに継続・発展した。
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