小冊子発行後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/29 07:06 UTC 版)
小冊子の出版後、「筆者」の予想通りに大きな反響があった。ビール暗号の話を聞きつけた多くの人々がリンチバーグに集まり、宝探しを始めた。こうした人々の中には、兄弟で宝探しに取り組んだハート兄弟や、1923年に宝探しを始め、諦めたのが1970年代末というハイラム・ハーバート・ジュニアのような、数十年に亘って宝探しを続ける熱狂的なファンも生まれた。 実績あるプロのトレジャーハンターも財宝の発掘に挑戦した。フロリダ州沖で沈没したスペインのガレオン船ヌエストラ・セニョーラ・デ・アトーチャ号から1985年に4千万ドル相当の財宝をサルベージしたことで知られるメル・フィッシャーは、偽名で土地を購入した上で発掘を試み、失敗している。解読済の2枚目の暗号文に記された地名の近郊にあるベッドフォードの町では、宝探しの需要に応えるため、発掘用の道具のレンタルショップが軒を連ねている。 一方、暗号解読者もビール暗号に挑戦した。国務省情報部MI-8「ブラック・チェンバー」の設立者ハーバート・オズボーン・ヤードリーや、日本のパープル暗号を解読したことで知られるウィリアム・F・フリードマン(英語版)など、プロ・アマ問わず、多くの暗号解読者たちがビール暗号の解読を試みた。1960年には、ビール暗号への人々の関心を喚起するために「ビールの暗号と財産協会」が設立された。この協会のメンバーでコンピュータによる暗号解読の第一人者でもあるカール・ハマーは、「アメリカ最高の暗号解読者の少なくとも1割がビール暗号の解読を試み、彼らの努力はコンピュータ科学の改良と洗練に役立った」と述べている。 こうした多くの人々の長年の努力にも関わらず、1枚目と3枚目の暗号文は解読されておらず、財宝も見つかっていない。
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